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新聞折込チラシから(仙台市青葉区・ゼミナール学習会 蝉林舎 ぜんりんしゃ・6人ゼミ) (クリック) トップページにもどる
ぜんりんしゃの新聞折込み広告には きれいな花の絵も、入会を誘うモデルキャラクターの写真もありません。白い紙の上に、あるのはただ 長い文章だけ。 時折、そんなチラシを 何回も何回も読み返して、折りたたんで持参され、いろいろ質問や相談に来るお母さんがおられます。教育産業のイメージ宣伝が蔓延する中 そんなお母さんに出会うと 本当に勇気づけられます。 以下、その新入生募集チラシから・・・・
言 葉 の 復 活、 ほ ん と の 勉 強 ! 受 験 勉 強 ス タ ー ト ・ 6 人 ゼ ミ
高価な入会広告にも、工夫がぎっしり詰まった教材にも 当会は縁がありません。勉強への意欲さえ 丸ごと出費への意欲に変わってしまいそうな「教育産業」文化の中、よく耳にするように、逆に受動性が身について 上の学校に進むにつれ自力では動けず行き詰まってしまう と考えるからです。目先の点数もさることながら、入試に備えて そしてその後の高校や大学での研究に向かって、一年一年 節目節目、勉強する様子にどれだけ力強さと真剣さが出てきたか(成長したか)が 本当は一番の現実。以下、長年「依存性・受動性の克服」を模索してきた経験と反省から。 考えるご父母の ご参考に。
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テレビやゲームなどの「娯楽」が 創造性を持つ「遊び」とは異なるように、勉強にも二つの種類があります。
一つは 工夫をこらした沢山の教材学習のように あらかじめ敷かれたレールの上を ゴールめがけて脱線せずに(まちがわずに)行き着くための勉強。もう一つは 応用問題・総合問題のように 何もない原っぱをゴールをさがして自分でレールを敷いて行く勉強です。もちろん勉強では前者も とても大切ですが、その方法に慣れきってしまうと、レールのない原っぱに出ると びっくりして進めなくなる子が出てきます。本当はそこがスタートなのに止まってしまうのです。止まってしまったらどうすればよいでしょう?・・・・答の一つは簡単。そこにもたくさんの きめ細かなレールを敷いてあげればよいのです。そうすれば「自力で」もっと遠くへ進んで行くことになるでしょう。 ・・・・けれどもいつか、一人 難所にゆき当り、それも そこから先はますます険しくなるばかりだとわかったとき、「そのときまでには 自分でレールを敷く力がついている」ことになるのでしょうか。
足もとの なかなか気づかれることのないもう一つの勉強、将来への土台となる後者は、レールを、選んだり・組み立てたり・こわしたり(!)・創り替えたりもする、誘導を避けた勉強です。書いては破り・書いては破り を繰り返して本当の文章力がついて行くように、 レールがない原っぱを進むには、瞬間 いくつものまちがいを受け容れて・修正し・判断を楽しむという 前者とはまったく逆の 心の経験の長い積み重ねが必要です。受動性の続きに 能動性が待っているわけでも 考える力が待っているわけでもありません。そんな主体的な勉強に前者をとり込んで 現実の明晰な知性を育てて行くのは、教材主導よりも、充実した言葉のやりとりが主導する授業です。まず勉強での「対話」の獲得。そして次は、その対話のレベルを学年とともに上げてゆくこと。言葉を「考える道具」として身につけてゆくこと。言葉はコミュニケーションの道具であるばかりでなく、考えるための無二の道具です。国語の授業を受けて作文力を といった「おべんきょう」の次元のものではありません。(別紙参照)
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真剣で中身の濃い授業を体験させるのにふさわしい 一クラスの人数は 3〜6人。経験上、多くても少なくても たちまち生徒の椅子が「客席」になってしまいます。客席で受ける授業は、分かりやすいという点でも 忘れやすいという点でもテレビ番組と同じこと。たとえて言えば 生徒を客席から「舞台」へ引き上げ「対話の担い手」にしてはじめて、充実した言葉のやりとりによる本物の授業が始まります。
「勉強」は分かると楽しいものです。でも「研究」は 分からないから面白いのです。受動からは受動性が、能動からは能動性が育ちます。大人が工夫したものを受け取る一方の授業では、その分「自分で失敗して・工夫する自由さ」がそがれてしまうので なかなか本物の力強い勉強方法が育ちません。長年当会が基調としてきたゼミ式授業は 諸研究室の少人数ゼミの要素を最大限に採り入れ、共同対話・討論を喚起する中から、たとえば 時のたつのも忘れて勉強に没頭して行けるような 活きた思考と表現の経験を積み重ねようとするものです。実際 早くから対話・討論授業に慣れて 表現する生徒ほど、著しい学力の向上と成長が見られます。(別紙参照)
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新しい教科書のページ増加が云々されるものの 中身は依然として ゆとり そのまま。実態は'80年代以降 長年にわたり削られてきた膨大な内容のうちの何%かが戻ってくるだけのこと。かつては「サイン・コサイン」や「仮定法過去完了」や「加速度の計算」さえ中学生がどんどん勉強していました。・・・・なぜ、こんなにレベルを下げて つまらなくしてしまったのでしょう。 学力低下の環境から 本来の知的な環境へ。教材漬けの勉強から 本来の参考書による能動的な勉強へ。教育市場の消費者としての勉強から 本来の創り出す勉強へ。単調な 生徒としての勉強から 本来の・・・・。 きちんと発想を変えれば 勉強の方向もスケールもすっかり変わります。受動(依存)への誘いは冷静に見送って、貴重な成長の時間に振り向けて下さい。真剣に悩んでいる人には 工夫の仕方を伝えます。 低学年のうちは 自宅で 一冊でも多く読書を! 自立し始める小学上級が 入会の最良のタイミングです。
以上、新聞折込チラシから。別紙(「ほんとの勉強」)をご請求下さい。・・・・・・・・・・・
教育ほど幻想と錯覚が絡み合ったシステムもないでしょう。 「する文化」から「お金を払って、してもらう文化」に変わるにつれ、勉強は すっかり市場の論理に呑み込まれてしまいました。子供の「参考書さがし」から始まるはずの勉強が、今やお母さんの「教材さがし・塾さがし」から始まります。子供が参考書のさがし方を覚える書店も身近から消え、学校もその多くが 学を離れて まるでスポーツ中心の託児所になって行くかのようです。一方で当事者の子供やお母さんは、依然として呑み込まれて行くまま。 勉強そのものの意味が変節して行く中、塾も学校も、子供が活発に考え合う場としての本来の姿に 早く立ち返るべきだと思います。入会すると初めからお決めにならず、参加の仕方を相談に来られることをお勧めします。 (C)2010-2012 Zenrinsya. All rights reserved.(剽窃禁止)
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